わたしの「客観」、みんなの「客観」
わたしたちが「客観的」を使いたくなるのは、どんなとき?
時に、「正しさ」の代名詞のように使われる「客観性」。
でも、「客観的」な判断に、モヤモヤすることもしばしば。
そもそも、「客観的」って、どんな状態のことでしょうか?
その中身は一つに決まるでしょうか?そして、わたしたちはいつ、
「客観的」な情報に頼りたくなるのでしょうか?
皆さんの身近な経験を起点に、一緒に考えてみませんか。